メディ・カフェ@関西HP

CPAOと共に、私たちに出来ること

続きます」と書いたきり、続かないで、気がつけば1カ月過ぎてしまいました。

11月は、虐待防止推進月間です!と書こうと思っていたのに、もう半分終わってしまいました。   

 

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その「虐待防止推進月間」ということで、各地で講演会があったり、テレビでも様々な問題や取組が取りあげられています。中でも、今年3月、目黒で女児が亡くなった事件に関しては、社会に問いかけられている問題も多く、再び何度も取り上げられていました。

報道されている亡くなった女児のあどけない笑顔や、亡くなる直前に残した手紙がショッキングで、「どうしてこんな子を殺すことが出来るのか」と親への怒りや悲しみという感情を抱いたり、また、児童相談所間の情報共有が出来ていなかったり、その時々の判断が正しかったのか、「もう少し何かが違ったら、この子は救えたのではないか?」という行政や司法に対して、疑問や不信感を多くの人が持っていると思います。この事件に限らず、今までも同じような事件は繰り返されてきたのに、多くの子どもの命が奪われたり、傷つけられてきたのに、悲劇を無くすことができない現状に「何かをしなくては」という思いを持っておられる方も多いと思います。この事件が大きく報道された当時には、そういった人々の「何かをしなくては」という思いからだと思いますが、当該児童相談所へ抗議電話が殺到し、児童相談所の業務を更に停滞させるという現象を起きました。

小さな子どもが犠牲になる悲惨な虐待死事件が起きるたび、「可哀そうな子ども」と子どもを死にいたらしめる「非道な親」「無能な児童相談所や行政」という図が描かれ、「非道な親から子どもを守れ」「児童相談所の権限を強化させろ」「警察が介入しろ」という声が高まります。しかし、そういった正義の声こそが、助けを必要としている親子が、助けを求めにくい社会にしている一面もあるのではないでしょうか。

 

日本社会事業大学福祉マネジメント研究科の宮島清教授も、この事件によせて、コラムで児童虐待について現状や課題について書かれていますが、その中で、

www.jcsw.ac.jp

悲惨な面を強調し、処罰感情を煽る報道のあり方の問題や、親や児童相談所や福祉関係者を非難するだけでは解決にならないこと、成果を急いで場当たり的な対策を重ねることは危険であることを指摘されています。 

認定NPO法人CPAO代表徳丸ゆき子さんからも、先日開催されたイベント後の活動報告会で、「親は何故子どもを隠すのか?」と問いかけられました。「何故隠すのか?隠さずにいられないのか?」を考えずに、「鬼畜親赦すまじ」と、警察や権力で無理やり子どもを引き離すべきだという風潮が強まるほど、さまざまな困難さを抱えながら子育てをしている親たちは、自分自身の成育歴や、これまでの助けてもらえなかった経験から社会や人への信頼感を失い、世間からの断罪を恐れて自らさらに孤立し、八方塞がりの状況に追い込まれます。閉ざされた家の中にいる子ども達の状況は厳しく、待ったなし。尚更、私たちには、感情的に行動しない冷静さが求められていると思います。

 

「何か出来ることをしたい」という思いも大切です。CPAOを支えているのも、そういう心ある人たちの思いです。

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前回書いたように、CPAOのような活動をしている団体に寄付をしたり、ボランティアで参加するというのもいいと思いますし、まずは、「まずはごはん」を購読したり、CPAOのブログを読んで考えるということから始めるのもお勧めします。たとえば、こういうある日の記事を読んでいて

「あのな、実は今日の宿題は学校でやったから、これは明日の分やねん。だから今日やらんでええねん」
そう言って、早めに切り上げようとする子がいました。
ちょっとおもしろくなり、「へーそうなんや。すごいなあ。」と答えると、しばらくそのまま続け、「やっぱり決めたところまではやってしまおうかなー」と、最後までやってしまいました。

CPAOでは、「宿題カフェ」という時間を設けてます。
宿題をやるかやらないかは自由。
でもせっかくやろうとなった時には、分からないところは一緒に考えたり、ヒントを出したり、そのやる気をサポートしたいと考えてます。

この子の宿題が、今日のだったのか、明日のだったのか…それは分かりません(笑)
でも、ずっと見ていてくれると気付いたその子は、少し嬉しそうで、そこに人を信じられる未来があることを願います。

そのためには、時間をかけ、丁寧に関係性を築いていける、親でもないけど他人でもないような、そんなおとなの存在が必要です。

自分の子どもだったら「実は今日の宿題はもう学校でやってきた。これは明日の宿題だから、今日しなくてもいい」とか言っても、「遊びたいからって嘘つくな!さっさとやりなさい!!」って怒ったり、なかなか進まない宿題に「何度言ったらわかるの!」って切れたりしたなーと思いおこして、こんな風にふんわりと、子どものいうことを「面白い」と受け止め、出来るまで見守る事が出来るのは他人だからなんだなと、だったら、自分の子どもだから冷静に出来ない時や、事柄は、他人とシェアしあえばいいのかと考えるきっかけになったりします。

そうして何かに気づいたら、自分の目の前にいる子どもたちや、周囲にいる身近な親子への眼差しや態度が変わることでしょう。

時間をかけ、丁寧に関係性を築いていける、親でもないけど他人でもないような、そんなおとな

そういう私も「そんなおとな」になりたい。第8回メディ・カフェ@関西のテーマだった「隣る人」というのは、そういう存在のことだったんだなと、この記事を読んで、改めて気づかされました。 

 

メディ・カフェ@関西は、今後もCPAOの活動を追いかけて、是非「これからのCPAO」をテーマにしたメディ・カフェもやりたいと考えています。やりたいことがたくさんあり過ぎて順番が難しいですが、関心のある方は、今後も辛抱強くご注目いただきましたら有難いです。(文責:山根)