メディ・カフェ@関西HP

ブログ引っ越しました

メディ・カフェ@関西ブログ引っ越しました

 

諸般の事情により、はてなダイアリーから、はてなブログに移ってまいりました。こちらでも、どうぞよろしくおねがいします。

 

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2月も中旬と思えない、あたたかいと感じる日が多いこのごろです。

しかし、例年になく、遅いインフルエンザ大流行に、私の周囲も見舞われています。寒暖の差も激しく体調管理の難しい気候でもあり、年度末にむけて忙しい時期でもありますので、みなさま、どうかお気をつけてお過ごしください。

さて、メディ・カフェ@関西は、平成21年のちょうど今頃に第1回のメディ・カフェ@京都準備を始めて以来、通産10回のメディ・カフェを開催させていただきました。

本当はもっと色々な人にお話を伺いたい、もっと色々なことをやってみたいと思っているのですが、主たるメンバー全員それぞれに忙しく、ほんとに「ぼちぼち」を絵にかいたような活動しかできていません。

それでも、昨年秋、10回という大きな節目の会を無事終えることができ、なんかちょっと気が抜けた・・・というわけではないのですが、すっかりご報告が遅くなってしまいました。

この間にも、たくさんの方が、FBページや、引っ越し作業中のこちらのブログをご訪問くださっていて、きっと待ってくださっているんだろうなと、ほんとうび申し訳なく思いながら、私のとんでもない遅筆と文章力の無さと地あたまの悪さで、こんなことになってしまいました。

メディ・カフェ@関西は、ただの主婦であるメンバーが、自分たちが興味のあること、聞きたいことを教えてもらったり、興味を共有できる方々と、一緒に考えたりしたいと思うことを毎回テーマに取り上げ、スピーカーの方々に来ていただき、来て下さった皆様ともご縁を頂きながら、続けさせていただいてきました。

お忙しい方々に、貴重なお時間を頂戴してお話を伺ったのだから、感銘を受けたことや興味深かったことや内容を残していきたい、これなかった人とも共有したいと思い、ブログにレポートを書かせていただいています。

しかし、こちらで書かせていただいている内容は、わたくしの主観が多く含まれているもので、スピーカーの発言そのものではありませんので、ご理解いただけましたら幸いです。もし、こちらの記事に対して、ご意見やご質問などありましたら、こちらにお寄せ下さい。

それでは、今後とも、よろしくお願いいたします。

 

2016 2月 メディ・カフェ@関西

 

開催決定【第10回】メディ・カフェ@関西

「…食べ物、衣服、医療を我々も提供しています。生活保護を受ければ、生活費と住む場所が得られ、医療機関にかかることも出来ます。では足りないものを一つ一つ満たしていくと、人は健康で幸せに生きることが出来るのでしょうか?答えは必ずしも芳しいものではありません。
食べ物や温かい家を手にしたものの、タバコ・酒に耽って身体を壊す人や、一人が寂しくて路上に戻って来てしまう人もいます。あの過酷な路上生活に。タバコには禁煙治療、酒には断酒治療という対応は、どこか的が外れているように思えます。
世界の医療団HP、西岡医師へのインタビュー記事より抜粋http://www.mdm.or.jp/news/release/post_121.html)」

第10回メディ・カフェ@関西 

「路上(みち)から生まれたプロジェクト〜ホームレスのヘルスケアから考える、ひとは何によって生きるのか〜」


【スピーカー】 西岡 誠さん(世界の医療団医師、内科医)   
日本という、一見、誰もが豊かで健康に長生きが出来る素晴らしい国にあって、ホームレスやホームレス状態に陥る人たちの多くが、認知症うつ病精神疾患、糖尿病や高血圧など生活習慣病知的障害などを抱えて十分に働くことも、自立した日常生活を営むことも出来ずに孤立し、かつ、既存の福祉政策からこぼれおちて、路上での過酷な生活を強いられていることが、専門家の調査により明らかになりました。

そんな中、2010年より東京池袋を中心に、ホームレス状態にある人の医療・保健・福祉へのアクセスの改善、そして精神状態と生活状況の底上げ、地域生活の安定を目的とし活動を続けてきた東京プロジェクトにて、また、新しい取り組みが始まろうとしています。

東京プロジェクトに携わる世界の医療団ボランティア医師、西岡誠さんより、ホームレス問題にとどまらない、現代日本の医療・保健・福祉の現状や問題点、解決の糸口となる新しい取り組みについて伺いながら、人間は、何によって生き、生かされるのかを考えたいと思います。

メディ・カフェ終了後、ひきつづき、同会場にて懇親会(会費2000円程度)も予定しておりますので、ご一緒にお申し込みください。
   
【日 時】 11月22日(日) 午後1時30分より

【場 所】 カフェ・コモンズ  高槻市富田町1-13-1 WESTビル5F   http://cafe-commons.com/index.html 

【会 費】  ワンドリンクつき 一般 2000円 学生(大学、短大、各種専門学校など) 1000円 
      
【定 員】 20名(先着順)

【お申し込み方法】 お名前、ご連絡先、簡単な自己紹介を添えて下記よりお申し込みください

メール medicafe.west@gmail.com
告知―ず 
http://kokucheese.com/event/index/344516/

第10回メディ・カフェ@関西の御案内 
Microsoft Word - 第10回メディ_カフェ_関西ちらし _2_.pdf 直


【終了しました】第9回メディ・カフェ@関西「看取った家族が後悔すること〜終活を自己満足で終わらせない為に〜」

6月7日(日)、大阪市肥後橋のリゾートダイニングAlbinoさんを会場に第9回メディ・カフェ@関西「看取った家族が後悔すること〜終活を自己満足で終わらせない為に〜」を開催しました。
ゲストスピーカーはメディ・カフェ最多登壇、医療問題ジャーナリスト熊田梨恵さん。
産休に入る前の最後のお仕事としてお引き受けいただきました。
長年介護や医療現場を徹底取材してこられた熊田さんが、文藝春秋5月号医療特集に掲載された記事の内容について、記事を書くに至った思いや、記事に書ききれなかったことなどを織り交ぜながら語ってくださいました。


後悔する家族

熊田さんが出会ったあるご遺族はお姑さんを見送りました。
亡くなった直後には「大往生だった」「よかったよね」「よく頑張ったよね」
そんな風にいい最期だった、と思えていたはずの気持ちがおよそ1年経った頃に「あれでよかったんだろうか」と後悔にも似た思いに変化したと言います。
「義母は本当はもっと生きたいと思っていたんじゃないだろうか…」という思い、そしてさらにそこから「お医者さんたちは本当にちゃんとやってくれたのだろうか」という思いまで生まれたと言います。
担当した医療者にとってはなんとも理不尽な言われようです。
自分たちが『自信を持って決められなかった』という思いから医療への不信までに発展してしまう。
いったいなぜ、それも1年も経過してからそんな変化が出てきてしまったのでしょう。
この出会いをきっかけに熊田さんの取材が始まります。


別のケースでは本人の「希望(想い)」を聞いていたのですが、そこでもやはり家族には「後悔」が生まれます。
本人であるお母様はお元気な頃から「長生きしなくていいから延命治療はしたくない。チューブに繋がれて生きるのはいや」というご自身の希望を話しておられました。
脳梗塞を発症し救急搬送された先で医師から飲み込みや言葉に障害が残る可能性を説明され、胃ろうの造設を勧められました。
本人が希望しなかった延命治療になるのでは、と娘さんは躊躇しますが、別の娘さんから「『延命は嫌だ』とは言っても『食べたくない』とは言っていない。お腹が空いて死ぬなんてかわいそう」と説得され、結果的には胃ろうを造設しました。
今は寝たきりの要介護5の状態で意思の疎通も難しくなったお母様の姿に「これは母が嫌がっていた延命なんじゃないか」と感じると言います。
『なぜ延命が嫌なのか、胃ろうならよかったのか、どんな治療ならしてもよかったのか』そういう根本的なことを聞けていたら違う選択をしたかもしれない、と話す娘さん。

本人の希望(想い)を聞いていなかったから後悔する、聞いていても後悔する・・・。
いったいなぜこんなことになってしまうのでしょう。どうすればよかったのでしょう。




価値観を知る

熊田さんは言います。
「大事なのは『価値観』を聞く(知る)こと」
延命は嫌だ、チューブに繋がれるのは嫌だ、、、
このとき「嫌だ」と思う理由はなにか。「嫌だ」と思う背景にあるのはなにか。

なぜ延命や臓器提供はイヤなのか。
チューブに繋がれるのはイヤって言うけど、チューブってそもそもどんなのを言ってる?チューブに流れているのは栄養? 薬? 水分? 人工呼吸器?
テレビで見たシーンに対して「こういうのはイヤだ」っていうけど、なぜ?
病院より家で死にたいって言うけどそれはなぜ?

『価値観』を知ることは、本人に対する理解を深めることができると同時に、予想外の事態が起き、何かを決断しなくてはならない場面になったとき、対応の幅が広がることに繋がります。想定していなかった場面であっても、本人の望む『価値観』に沿う方法・手段を選ぶという形で選択肢が広がったり、また絞り込めたりします。
価値観を知ってもらえている、という思いは家族や医療者などとの人間関係やひいては医療への満足度が上がり、協力関係は強化されます。
そして、それらは本人にとって自分で決めている、自分の人生を自分でコントロールできているという感覚も向上させます。
そういう中での選択や決断の結果は遺族(家族)にとってはその後の抑うつや不満の軽減し、また本人の死に対する納得にも繋がります。


結局は納得が大事

本人の意思を家族や医療者が「共有」できていなかったり、時間と共に本人の想いが「変化」した(ことに対応できていなかった)り、また表面的な希望は知っていても根っこにある、つまり価値観の理解につながるような「理由」や「決定のプロセス」を知らずにいたり、あるいは医療者から十分な「情報提供」を受けていなかったり(これは説明を受けていても受けた側の理解が追いつかない場合や心に落ちていない場合も含みます)、、、
そういったケースは家族が後悔しやすいケースになりがちとのことです。
また、本人が決める能力を失った際の「代理決定人」を決めていない場合も家族の後悔をうみやすくなるようです。
これらの事情が含まれるケースは、つまりは「納得できない何か」が生まれてしまうわけでそのもやもやは往々にして本人への疑問、不信感、家族内の不和、場合によっては医療訴訟や家族だけに収まらない関係者とのトラブルなどを引き起こしがちです。

「結局は 納得 が大切なんです」

価値観を知るために 納得を得るために
ここ何年か、今、自分の人生の終わり方を考え、エンディングノートなどを記しておく「終活」ブームが盛り上がっています。
ただ、エンディングノートは本人にとって「書いて終わり」という個人作業にとどまりがちでなかなか「共有」されません。
本来はエンディングノートを記し、それをきっかけに価値観を探る作業へと進むことで大きな役割を果たすものであるべきです。

また、医療現場では入院時や救急搬送時に「事前指示書」というものへの記載を求められることも増えています。
いわゆる「終末期(ここでいう終末期というのは生命維持処置を行わなければ、比較的短期間で死に至るであろう、不治で回復不能の状態、を意味します)」になったときにどのような対応を希望するか医療に対する希望を書面に残すわけです。
ただ、この「事前指示(アドバンス・ディレクティブ)」の聴取だけを行っても満足度の変化という結果は得られないという調査結果が出ています。

このようにエンディングノートや事前指示書というものが「形」の流行で終わってしまうことで本来それらを使って探る(知る)べき「本人の価値観」にたどり着かないことを熊田さんは危惧しています。

アメリカでは1990年代後半から「アドバンス・ケア・プランニング(Advance Care Planning:ACP)」という取り組みが始まっています。
「将来に備えて、今後の治療・療養についてあらかじめ話し合うプロセス」と定義されています。
話し合いのプロセスを重視することで生き方や、医療の価値観を把握するのですが、嫌がれば話をしないことも許容され、患者が望めば家族や友人も同席するなど話し合い方には決まりはありません。
これまでの経験、病状についての認識、療養や生活の不安や疑問、大切にしたいこと、治療についての希望、代理決定人やその裁量権など様々なことを話し合います。
話し合いの結果は同意のもとで記述され、定期的に見直され、関係者の間で共有されます。
日本ではようやくはじまったばかりです。


価値観の把握の必要性のもうひとつの意味

自身の価値観を自身でも把握し、家族など周囲と共有することは「よりよい最期を迎える」ために大切なことですが、その必要性にはもう一つの側面があります。
厚生労働省の推計では増え続ける高齢者数に医療や介護のサービス提供が追いつかず、2030年に約47万人分の“死に場所”がなくなる、というのです。
2042年には社会保障給付が現在の約3分の1程度に減少する可能性もあると。
それはつまり、現在の日本の医療・介護の特徴である「フリーアクセス」「コストの低さ」が「アクセス不良」「コスト高」になるということを意味します。
そうなると「クオリティ」しか残らないのではないでしょうか。

自己満足で終わらない“終活
この「クオリティ」の評価は自身の「満足度」が尺度になることが多いので自分で自分の医療や介護への満足度を上げる努力をすることが求められます。

医療や介護について「家族がいいようにやってくれるだろう」「悪いようにはされないだろう」という安易な思い込みは危険。
家族だって知らないことだらけです。
結局は「情報」つまり「知る」ことです。
「最期は周りに迷惑をかけたくない」と思っているのならなおさら、情報を集め、情報の精査をし、自分の想いを見つめ、それらを周囲に伝える努力は欠かせません。
そのことが医療や介護への満足度の向上を得、結果的に「よりよい最期」に繋がります。
そうした自己満足で終わらせない“終活”をしていくことが大切なのだと思います。



メディ・カフェ後半は前半の熊田さんのお話を受け、2つのケースについてグループワークを行いました。
1つはご本人はエンディングノートを書いていたにも関わらず、ご家族にはそのことが伝わっていなかったケース。
もう1つはこどものいない夫婦。認知症の妻を単独介護していた主たる介護者の夫が急逝したケース。
それぞれのケースについて、どのようにすればよかったのか、あるいはしなくてよかったのか、またどんな方法があったのか、など、どちらも決まった正解のあるわけではないですが、様々な視点から考えるきっかけを得た時間でした。


「死は1人では完結しない」という熊田さんの言葉。
「ひとは必ず死ぬ」ことは避けられない事実で、そしてその「死」は血縁の有無にかかわらず、「遺される人」が生まれます。
その事実の中で、生きている時間の最期をどのように迎えるか、そこに向かって何をどう知り、考えていくのか、、、
決断を迫られるそのときにではなく、そうなる前に考え始め、共有しておくことが必要なのだと感じました。

(文責:長谷川)

【終了しました】第8回メディ・カフェ@関西 きっとあなたもだれかの“隣る人”〜「映画「隣る人」を通して考える社会で子どもを育てるということ〜

去る10月18日土曜日、高槻市カフェ・コモンズhttp://cafe-commons.com/ にて
第8回メディ・カフェ@関西、映画「隣る人」上映会&トークイベント「きっとあなたも誰かの“隣る人”〜映画「隣る人」を通して考える、社会で子どもを育てると言うこと〜」を開催しました。
映画「隣る人」http://www.tonaru-hito.com/sakuhin.html は、
児童養護施設「光の子どもの家」を2003年から8年間撮り続けたドキュメント作品です。

ゲストは、「隣る人」監督刀川和也さんと大阪子どもの貧困アクショングループ(CPAO)の代表徳丸ゆき子さん。
カフェ・コモンズさんを午後から貸し切りさせていただき、手製の暗幕を持ち込んでの即席の上映会と、引き続いて、刀川監督から映画に込めた思いや葛藤、徳丸ゆき子さんやCPAOとの出会いと今後の活動などを熱く語っていただきました。

児童養護施設の“可哀そうな子どもたち”の物語」ではなく・・・
アジアプレスというフリージャーナリスト集団に所属し、フィリピンやアフガニスタンなどで困難な状況で生きる子どもたちを多く取材してきた刀川さんは、豊かなはずの日本で、親からの虐待によって子どもが死んでいるというニュースに触れ、「虐待が生みだされる家族ってなんなんだろう?」と考え、当時の「光の子どもの家」施設長、菅原哲男氏の著書『誰がこの子を受けとめるのか「光の子どもの家」の記録』を知ることになりました。

「子どもの為の、子どもの施設」を理念に1985年設立された光の子どもの家は、小舎制で職員が子どもと一緒に寝食を共に暮らし、交代制ではなく、一人の保育士が5名くらいの担当の子どもをもつ責任担当制を採用。一軒の家に、二人の保育士と指導員と、幼児から高校生までの子ども約10人が暮らす家が中庭を囲む形で敷地内に3軒たち、敷地外の地域に2軒あります。「原田家」「竹花家」など呼ばれる家の中で、保育士たちと子どもたちは、文字通り「寝食」を共にします。一緒に食事をし、宿題をしたり、風呂に入り、絵本の読み聞かせをして、枕を並べて眠るという生活の中で、関係を築いていきます。
刀川さんは、当初は週末二日間だけ施設にいき、とりあえずカメラを回すことから始めました。
そうして、子どもたちと知り合い、子どもたちのことを一緒に心配したりオロオロしたり、人の人生に踏み込んでいくことのむずかしさを感じ、このまま撮影を続けて公開することができるのか?公開してもいいのか?と悩んだそうです。
刀川さん:「年末から正月の一週間の休みに、施設に泊まり込んで撮影すると、週末だけ撮影していた時より、子どもたち同志、子どもたちと職員が関係が、なんでもない日常の暮らしの中で築かれ、時に、傷つき、また修復することを繰り返していることがよくわかるようになりました。
毎日その場にいなければ気付かないような、小さな“事件”がおきていて、その後そのことにどう関わったのか。その繰り返しの中で人と人の関係が作られて行く。
それを撮り続けるために、『ずっと居続けなければ』と考え、週の半分を施設で暮らしを共にし、撮影を続け、映画は85分の作品ですが、撮影時間は600時間となりました」


85分の映画には、ナレーションも字幕も全くありません。

ナレーションや字幕などの説明が一切ない映画「隣る人」は公開されると、児童福祉関係者からは、これでは、「せっかくの意図がわからないのではないか」と危惧する声もあったが、映画を観た一般の方々からは、自分の子ども時代を思い出しつつ、自分の子育てを振り返って色々考えたという感想を多くよせられたと刀川さんは言います。
それは、映画「隣る人」は、児童養護施設で撮影されたドキュメントでありながら、「児童養護施設」を撮った映画ではなく、子どもが、自分と周囲を信頼して成長していく為に必要なことは何か、人間にとって「生きる力」とは?という、私たちの社会にとっても根源的なテーマを持った作品であるからだと言えるでしょう。



刀川監督とCPAO

大阪子どもの貧困アクショングループ(CPAO)http://cpao0524.org/wp/ 代表徳丸ゆき子さんが、映画「隣る人」を観たのは、会の活動をし始めて半年たったころで、自分たちの活動について、これでいいのかと悩んでいた時でした。
CPAOは、大阪で起きた二つの餓死事件をきっかけに、悲劇を繰り返さない為に、子ども支援関係者を中心に徳丸さんが立ち上げた団体です。
子どもの貧困とは・・・http://cpao0524.org/wp/archives/665
6人に1人が相対的貧困であると言われる日本の子どもたちを救うため、貧困状態にある親子を行政サービスにつなげたり、寄付された食料品を届けたり、夕方の商店街でのアウトリーチ活動や勉強会、「あさイチ」や「ハートネットTV」などテレビ番組やメディアを通じて、困っていても困っていると言えない子どもや親に「しんどいって言っていいんやで」と呼び掛け、見えにくい貧困の実態を明らかにする為の活動などをしています。しかし、この頃の徳丸さんは、活動に行き詰まりを感じていました。
困っている親子を生活保護やさまざまな制度や専門の機関に繋げても、なかなか良い方向に進まない・・・
徳丸さん:「自分たちが介入することで、かえって状況を悪くしているのではないか?
本当に子どもたちの為になっているのか、家族でもない他人に出来ることなんて、何もないんじゃないかと思っていました」
そんな悩みを大阪で活動している先輩のひとりに相談すると、この映画を観るようにすすめられました。
徳丸さん:「東京の映画館で映画を見て、後半は涙が止まらなくなったけれど、その時は理由がわかりませんでしたが、帰りの新幹線で何故なのかを考えていて、『他人でも出来ることがあるやん!』と気づきました」
映画「隣る人」では、マリナちゃんとむっちゃんという小学生の女の子二人と、担当保育士のマリコさんを中心に、光の子どもの家の日常生活の中、築かれる人間関係が描かれています。
ご飯を一緒に食べ、冷たい手をさすって温める。髪をくしゃくしゃにしてなで、ぎゅっと抱きしめる
膝枕をして耳掃除をしたり、庭で散髪をしたり、並んで歯磨きをし、絵本を読み聞かせして一緒に眠る・・・
特別なことをしているわけではないが、日常の関わり合いの中で、他人同志が関係を積み上げていく姿は、自分たちの活動にもつながっているのではないかと思ったそうです。
CPAOでも、貧困家庭にある子どもたちや、親がいくつも仕事をかけもちしたりで余裕がなく、楽しい思い出のない子どもたちや、自分が子ども時代親に愛されず、子どもとどう過ごせばいいのかわからない親たちと一緒に、料理や畑仕事をしたり、キャンプをしたりという活動を大切にしています。
経済的精神的に困窮し、家庭内暴力に疲れたシングルマザーたちの心を「ほぐす」ということは、心身の傷をいやし、生きる力を取り戻す為に欠かすことが出来ないと考えているからです。


映画「隣る人」を観て、心を新たに活動を頑張って行こう、そう思っていた徳丸さんが開いた勉強会に、大阪へ活動の拠点を移した刀川さんが、テレビでCPAの活動を知り偶然参加。勉強会後の懇親会で、「隣る人凄く好きです!」という話になって盛り上がるという出会いがあり、徳丸さんやCPAOの活動に興味を持った刀川さんは、その活動の撮影をすることになりました。
徳丸さん「刀川監督は、CPAOは準メンバーです(笑)」
相談者の引っ越しの手伝いやゴミ屋敷の片付け、キャンプの運転手に駆り出されたりしながら、かつて、光の子どもの家で暮らしながら撮影をしてきたように、CPAOの傍にいて、徳丸さんたちの活動を見つめています。
刀川さん:「国内の児童養護施設におおよそ3万人の子どもが暮らしていますが、この社会には、埋もれたまま、制度にも救われず、過酷な状況に置かれている子どもたちが山のようにいるんだということを知りました。児童養護施設という制度からもこぼれ落ちていくところに、CPAOの活動があると言ってもいいかもしれません。CPAOは、“この親子は明日食べるものがない”といったSOSを受けるとすぐに食糧を届けたり、必要があれば、生活保護につなげていくという活動をされています。でも、それだけでは終わらないんですね。終われないんです。そのなかで、なにか出来ることはないかと考え、試行錯誤しながら活動しているCPAO。そのありようを撮りたいと思っています」



メディ・カフェ後半は、私(山根)も一緒に混ぜていただいて、おもに「“隣る人”になれるか」がテーマとなりました。
“隣る人”というのは、光の子どもの家の理事である菅原哲男氏が作った造語で、「子どもの存在をまるごと受け止める大人の存在」という意味が込められています。困難な状況から最後の拠り所として光の子どもの家にたどり着いた子どもたちにとって、もっとも大切な存在が“隣る人”だと思い至ったということです。

CPAOで、活動一周年記念のイベントとして7月に行った上映会のあと『私には、(保育士の)マリコさんになれない』とか『徳丸さんのようには出来ない』という感想が多く寄せられ、何故、そんな風に考えてしまうのかを打ち合わせの時に話していたのでした。
他の人にはできない、偉いと言われることに、強い違和感を持っていると徳丸さん。
徳丸さん自身がシングルマザーで、親にも頼らず育ててきた当事者として、子どもと二人きりでは絶対無理だと痛感し、子どもをみんなで協力して育てるようにしたいと考えるようになったそうです。
徳丸さん:「日本社会は、お母さんに育児を押し付けすぎ。悲鳴をあげているのは、シングルマザーだけじゃない。夫がいても働きながら、1人で子育てを背負いこんでいるお母さんたちもたくさんいます。だから社会で親をサポートしてほしいと思ってやっているので、世のため人のためと言うより自分の為ですから、偉くは無いんです」
山根:「マリコさんや徳丸さんになれないと思う人の気持ちは、私もわかるんですよ。たとえば、近所にお腹をすかせている子どもがいて、その子1人に一度だけごはんを食べさせてあげることは出来るけど、毎日だったらどうか…とか、他にもそういう子がいっぱいいて、全員に同じように出来るのかとか、不公平になっちゃったり、かえって可哀そうかなとか考えてしまいます」
徳丸さん:「CPAOで、シングルマザー100人調査 http://cpao0524.org/wp/archives/97 を行って、現在、結果をまとめているのですが、子どものころから親から全く愛されず、とても孤独で苦労してきて、いまも、ちゃんと立派に生きているお母さんたちに理由を聞いたら、子どものときに、たった一度だけ、近所の人に、ごはんを食べさせてもらったことがあるとか、一度だけおばあちゃんに寒い夜に足を股に挟んで温めてもらったなど、その時のうれしかった気持ちを何度も思いだして頑張ってきたと答える人がたくさんいたんです。」

きっと、あなたも誰かの“隣る人”

子どもには、信頼できる大人と、安心して過ごせる場所が必要です。本来、親が果たす役割ですが、もし親に出来なくても、周囲の大人と信頼関係が結べれば生きていけます。大人への信頼は、社会への信頼となり、社会から信頼される大人に育てるのです。血のつながりがなくても、傍にいて、日常の中でのささやかな触れ合いのなかで、誰にでも出来ることはあるということなのだと思います。
貧困とは、金銭的な貧しさだけじゃなく、信頼できる人がいない、人と信頼を結べない関係性の貧しさが含まれます。経済的な貧しさだけを解決しても、貧困から抜けだすのはとても難しいが、他者を信頼し、社会を信じられるひとは、苦境にも耐えられる「生きる力」を持っていると言えます。
子どもたちの「生きる力」を支える「信頼される大人」となることは、隣る人になるということです。

では、どうしたら、“隣る人”になれるんでしょうか。
刀川さん:
「映画のチラシでは『隣る人になれますか?』というキャッチコピーになっていますが、僕たちは『隣る人ですか?』でいいのではと思っています。『なれますか?』じゃ怖いじゃないですか(笑)『隣る人ですか?』と聞かれたら、今、存在している中で、自分も、誰かの隣る人なのかなあ?と思うことが出来るんじゃないかと。『隣る人』かどうかは、本人ではなく、相手が決めることですから」
自分が良かれと思ってやっていることも、結果的には逆効果だったということもあります。それでも、いま、目の前で困っている人を放ってはおけないというのは、自分自身の問題であり、自分がしていることは自己満足なのではないかという自問自答を続けていくことも重要ということでしょう。
徳丸さん:「困った時、岐路にたった時に、誰の顔が思い浮かぶのか。自分がなりたいと思ってなれるものじゃないです」

「マリコさん」や「徳丸さん」というような、「特別な誰か」のようになることではなく、「普通の私たち」がたくさん(多様)=「マリコさん」=隣る人?

「マリコさんや徳丸さんになれない」と思ってしまう背景には、子育てを親に背負い込ませてきた社会の有り様があります。
子どもって、いつも可愛いだけじゃないし、親だって、色々な時があるのに
「親に代わって、子どものすべてを丸ごと1人で受け止め続ける」責任を自分が1人で負えるのか?と考えてしまうから、「マリコさんになれない」と思ってしまうのではないかと考えます。
でも、そんなに気負わなくても、私も、もしかしたら、誰かの“隣る人”なのかもしれない・・・。
それは、自分自身のことを振り返り、自分にとって“隣る人”だと思う人が、おそらく、本人はそう思ってないだろうと想像できるからです。
子どもたちにとって“隣る人”でありたいとおもう人が多ければ、それだけ“隣る人”に出逢える子どもも、きっと増えます。
CPAOの“隣る人”でありたい大人と子どもたちを結びつける活動が今後も発展し、CPAOの活動を記録した映画が完成する日を楽しみに、細々とながら、応援していきたいと思います。


今回のメディ・カフェで、初めて利用させていただいたカフェ・コモンズは、NPO法人日本スローワーク協会が、2005年10月1日に、大阪府高槻市摂津富田に開店したコミュニティ・カフェです。http://cafe-commons.com/03aboutus/index.html
日中に上映会をやりたいという無茶なお願いにも関わらず、色々と相談に乗って頂いたり、素晴らしく美味しい料理もたくさん用意していただき、参加者の皆さんからも大好評でした。
特に印象的だったのは、お母さんと参加して下さった小学生のお子さんたちには、ちょっと退屈だったと思うのですが、気が付いたら、厨房の中でお店の人と一緒にパンをこねて、石窯で焼いてもらっていたことでした。焼き上がったアツアツのパンをお母さんに「見て!見て!」という子どもたちの笑顔と弾む声。おかげさまで、最後まで、とても温かい会となりました。
そのカフェ・コモンズで、「とんだCPAO食堂」もはじまりました。http://cpao0524.org/wp/archives/1227
また、メディ・カフェの会場としても、ぜひ使わせて頂きたいと思います。どうぞ、よろしくおねがいします。

第3回理科ちゃんママ開催「子育てはハラハラ・ドキドキ。そしてウキウキ・ワクワク」

子育て中のパパ、ママ、おじいちゃんおばあちゃん
これから子育てのプレパパ、プレママ、プレおじいちゃんおばあちゃん
小児科のお医者さんを囲んで、色々お話しをする「理科ちゃんママカフェ」第2弾のお知らせ

今回の講師は、小児発達科の医師で、先輩ワーキングママである金泰子先生です!

第3回理科ちゃんママ「子育てはハラハラ・ドキドキ。そしてウキウキ・ワクワク」



【日時】 11月9日(日)午後1時30分より

【会場】らこんて中崎(大阪府大阪市北区中崎2丁目3‐29) http://racontermama.jimdo.com/
 
【会費】 1000円(お茶とお菓子つき)

【プログラム 】
13:30 大阪医科大学小児発達科 金泰子先生「子育てはハラハラ・ドキドキ。そしてウキウキ・ワクワク」
    
15:30 終了 お時間のある方は、ひきつづき交流会

【お申込み方法】

お名前とご連絡先、お子さんをお連れの方はお子さんの年齢と性別をそえて、下記メールアドレスよりお申込みください

メールアドレス medicafe.west@gmail.com

第3回理科ちゃんママ開催「子育てはハラハラ・ドキドキ。そしてウキウキ・ワクワク」

子育て中のパパ、ママ、おじいちゃんおばあちゃん
これから子育てのプレパパ、プレママ、プレおじいちゃんおばあちゃん
小児科のお医者さんを囲んで、色々お話しをする「理科ちゃんママカフェ」第2弾のお知らせ

今回の講師は、小児発達科の医師で、先輩ワーキングママである金泰子先生です!

第3回理科ちゃんママ「子育てはハラハラ・ドキドキ。そしてウキウキ・ワクワク」



【日時】 11月9日(日)午後1時30分より
【会場】らこんて中崎(大阪府大阪市北区中崎2丁目3‐29) http://racontermama.jimdo.com/
【会費】 1000円
【プログラム 】
13:30 大阪医科大学小児発達科 金泰子先生「子育てはハラハラ・ドキドキ。そしてウキウキ・ワクワク」
    
15:30 終了 お時間のある方は、ひきつづき交流会

【お申込み方法】

お名前とご連絡先、お子さんをお連れの方はお子さんの年齢と性別をそえて、下記メールアドレスよりお申込みください

メールアドレス medicafe.west@gmail.com

【お知らせ】第8回メディ・カフェ@関西緊急開催!

第8回メディ・カフェ@関西
きっとあなたもだれかの“隣る人”〜「映画「隣る人」を通して考える社会で子どもを育てるということ〜


しんどい親のもとに暮らす子どもたちがたくさんいます。
「しんどい」ということもできずに、困っている親子がたくさんいます。
地域でそんな子どもたちをどうやって見守り、育てていくのかを「隣る人」監督刀川和也さんと大阪子どもの貧困アクショングループ代表 徳丸ゆき子さんと一緒に考えませんか。

ゲストは、「隣る人」監督 刀川和也さん 「隣る人」公式HP http://www.tonaru-hito.com/  予告 https://www.youtube.com/watch?v=aD_OkGxXyew

大阪子どもの貧困アクショングループ代表 徳丸ゆき子さん http://cpao0524.org/wp/




【日 時】 10月18日(土) 午後4時30分より(4時開場)
【場 所】 カフェコモンズ http://cafe-commons.com/
アクセス:
JR京都線「摂津富田」駅下車、南出口より徒歩3分
阪急京都線「富田」駅下車、北出口より徒歩2分 WESTビル5F

【会 費】  2000円(ワンドリンク付き)
【定 員】 30名(先着順)

映画上映、トークライブに引き続き、カフェコモンズにて懇親会 (会費別)
刀川監督、徳丸ゆき子さんと意見交流しましょう
【会 費】 食事とワンドリンクつき 2000円(アルコールはプラス200円)

【申し込み】名前と連絡先、一言自己紹介を添えて、下記よりお申込みください
            http://kokucheese.com/event/index/223085/

【共 催】 NPO法人パブリックプレス http://www.publicpress.jp/