メディ・カフェ@関西HP

【終了しました】第8回メディ・カフェ@関西 きっとあなたもだれかの“隣る人”〜「映画「隣る人」を通して考える社会で子どもを育てるということ〜

去る10月18日土曜日、高槻市カフェ・コモンズhttp://cafe-commons.com/ にて
第8回メディ・カフェ@関西、映画「隣る人」上映会&トークイベント「きっとあなたも誰かの“隣る人”〜映画「隣る人」を通して考える、社会で子どもを育てると言うこと〜」を開催しました。
映画「隣る人」http://www.tonaru-hito.com/sakuhin.html は、
児童養護施設「光の子どもの家」を2003年から8年間撮り続けたドキュメント作品です。

ゲストは、「隣る人」監督刀川和也さんと大阪子どもの貧困アクショングループ(CPAO)の代表徳丸ゆき子さん。
カフェ・コモンズさんを午後から貸し切りさせていただき、手製の暗幕を持ち込んでの即席の上映会と、引き続いて、刀川監督から映画に込めた思いや葛藤、徳丸ゆき子さんやCPAOとの出会いと今後の活動などを熱く語っていただきました。

児童養護施設の“可哀そうな子どもたち”の物語」ではなく・・・
アジアプレスというフリージャーナリスト集団に所属し、フィリピンやアフガニスタンなどで困難な状況で生きる子どもたちを多く取材してきた刀川さんは、豊かなはずの日本で、親からの虐待によって子どもが死んでいるというニュースに触れ、「虐待が生みだされる家族ってなんなんだろう?」と考え、当時の「光の子どもの家」施設長、菅原哲男氏の著書『誰がこの子を受けとめるのか「光の子どもの家」の記録』を知ることになりました。

「子どもの為の、子どもの施設」を理念に1985年設立された光の子どもの家は、小舎制で職員が子どもと一緒に寝食を共に暮らし、交代制ではなく、一人の保育士が5名くらいの担当の子どもをもつ責任担当制を採用。一軒の家に、二人の保育士と指導員と、幼児から高校生までの子ども約10人が暮らす家が中庭を囲む形で敷地内に3軒たち、敷地外の地域に2軒あります。「原田家」「竹花家」など呼ばれる家の中で、保育士たちと子どもたちは、文字通り「寝食」を共にします。一緒に食事をし、宿題をしたり、風呂に入り、絵本の読み聞かせをして、枕を並べて眠るという生活の中で、関係を築いていきます。
刀川さんは、当初は週末二日間だけ施設にいき、とりあえずカメラを回すことから始めました。
そうして、子どもたちと知り合い、子どもたちのことを一緒に心配したりオロオロしたり、人の人生に踏み込んでいくことのむずかしさを感じ、このまま撮影を続けて公開することができるのか?公開してもいいのか?と悩んだそうです。
刀川さん:「年末から正月の一週間の休みに、施設に泊まり込んで撮影すると、週末だけ撮影していた時より、子どもたち同志、子どもたちと職員が関係が、なんでもない日常の暮らしの中で築かれ、時に、傷つき、また修復することを繰り返していることがよくわかるようになりました。
毎日その場にいなければ気付かないような、小さな“事件”がおきていて、その後そのことにどう関わったのか。その繰り返しの中で人と人の関係が作られて行く。
それを撮り続けるために、『ずっと居続けなければ』と考え、週の半分を施設で暮らしを共にし、撮影を続け、映画は85分の作品ですが、撮影時間は600時間となりました」


85分の映画には、ナレーションも字幕も全くありません。

ナレーションや字幕などの説明が一切ない映画「隣る人」は公開されると、児童福祉関係者からは、これでは、「せっかくの意図がわからないのではないか」と危惧する声もあったが、映画を観た一般の方々からは、自分の子ども時代を思い出しつつ、自分の子育てを振り返って色々考えたという感想を多くよせられたと刀川さんは言います。
それは、映画「隣る人」は、児童養護施設で撮影されたドキュメントでありながら、「児童養護施設」を撮った映画ではなく、子どもが、自分と周囲を信頼して成長していく為に必要なことは何か、人間にとって「生きる力」とは?という、私たちの社会にとっても根源的なテーマを持った作品であるからだと言えるでしょう。



刀川監督とCPAO

大阪子どもの貧困アクショングループ(CPAO)http://cpao0524.org/wp/ 代表徳丸ゆき子さんが、映画「隣る人」を観たのは、会の活動をし始めて半年たったころで、自分たちの活動について、これでいいのかと悩んでいた時でした。
CPAOは、大阪で起きた二つの餓死事件をきっかけに、悲劇を繰り返さない為に、子ども支援関係者を中心に徳丸さんが立ち上げた団体です。
子どもの貧困とは・・・http://cpao0524.org/wp/archives/665
6人に1人が相対的貧困であると言われる日本の子どもたちを救うため、貧困状態にある親子を行政サービスにつなげたり、寄付された食料品を届けたり、夕方の商店街でのアウトリーチ活動や勉強会、「あさイチ」や「ハートネットTV」などテレビ番組やメディアを通じて、困っていても困っていると言えない子どもや親に「しんどいって言っていいんやで」と呼び掛け、見えにくい貧困の実態を明らかにする為の活動などをしています。しかし、この頃の徳丸さんは、活動に行き詰まりを感じていました。
困っている親子を生活保護やさまざまな制度や専門の機関に繋げても、なかなか良い方向に進まない・・・
徳丸さん:「自分たちが介入することで、かえって状況を悪くしているのではないか?
本当に子どもたちの為になっているのか、家族でもない他人に出来ることなんて、何もないんじゃないかと思っていました」
そんな悩みを大阪で活動している先輩のひとりに相談すると、この映画を観るようにすすめられました。
徳丸さん:「東京の映画館で映画を見て、後半は涙が止まらなくなったけれど、その時は理由がわかりませんでしたが、帰りの新幹線で何故なのかを考えていて、『他人でも出来ることがあるやん!』と気づきました」
映画「隣る人」では、マリナちゃんとむっちゃんという小学生の女の子二人と、担当保育士のマリコさんを中心に、光の子どもの家の日常生活の中、築かれる人間関係が描かれています。
ご飯を一緒に食べ、冷たい手をさすって温める。髪をくしゃくしゃにしてなで、ぎゅっと抱きしめる
膝枕をして耳掃除をしたり、庭で散髪をしたり、並んで歯磨きをし、絵本を読み聞かせして一緒に眠る・・・
特別なことをしているわけではないが、日常の関わり合いの中で、他人同志が関係を積み上げていく姿は、自分たちの活動にもつながっているのではないかと思ったそうです。
CPAOでも、貧困家庭にある子どもたちや、親がいくつも仕事をかけもちしたりで余裕がなく、楽しい思い出のない子どもたちや、自分が子ども時代親に愛されず、子どもとどう過ごせばいいのかわからない親たちと一緒に、料理や畑仕事をしたり、キャンプをしたりという活動を大切にしています。
経済的精神的に困窮し、家庭内暴力に疲れたシングルマザーたちの心を「ほぐす」ということは、心身の傷をいやし、生きる力を取り戻す為に欠かすことが出来ないと考えているからです。


映画「隣る人」を観て、心を新たに活動を頑張って行こう、そう思っていた徳丸さんが開いた勉強会に、大阪へ活動の拠点を移した刀川さんが、テレビでCPAの活動を知り偶然参加。勉強会後の懇親会で、「隣る人凄く好きです!」という話になって盛り上がるという出会いがあり、徳丸さんやCPAOの活動に興味を持った刀川さんは、その活動の撮影をすることになりました。
徳丸さん「刀川監督は、CPAOは準メンバーです(笑)」
相談者の引っ越しの手伝いやゴミ屋敷の片付け、キャンプの運転手に駆り出されたりしながら、かつて、光の子どもの家で暮らしながら撮影をしてきたように、CPAOの傍にいて、徳丸さんたちの活動を見つめています。
刀川さん:「国内の児童養護施設におおよそ3万人の子どもが暮らしていますが、この社会には、埋もれたまま、制度にも救われず、過酷な状況に置かれている子どもたちが山のようにいるんだということを知りました。児童養護施設という制度からもこぼれ落ちていくところに、CPAOの活動があると言ってもいいかもしれません。CPAOは、“この親子は明日食べるものがない”といったSOSを受けるとすぐに食糧を届けたり、必要があれば、生活保護につなげていくという活動をされています。でも、それだけでは終わらないんですね。終われないんです。そのなかで、なにか出来ることはないかと考え、試行錯誤しながら活動しているCPAO。そのありようを撮りたいと思っています」



メディ・カフェ後半は、私(山根)も一緒に混ぜていただいて、おもに「“隣る人”になれるか」がテーマとなりました。
“隣る人”というのは、光の子どもの家の理事である菅原哲男氏が作った造語で、「子どもの存在をまるごと受け止める大人の存在」という意味が込められています。困難な状況から最後の拠り所として光の子どもの家にたどり着いた子どもたちにとって、もっとも大切な存在が“隣る人”だと思い至ったということです。

CPAOで、活動一周年記念のイベントとして7月に行った上映会のあと『私には、(保育士の)マリコさんになれない』とか『徳丸さんのようには出来ない』という感想が多く寄せられ、何故、そんな風に考えてしまうのかを打ち合わせの時に話していたのでした。
他の人にはできない、偉いと言われることに、強い違和感を持っていると徳丸さん。
徳丸さん自身がシングルマザーで、親にも頼らず育ててきた当事者として、子どもと二人きりでは絶対無理だと痛感し、子どもをみんなで協力して育てるようにしたいと考えるようになったそうです。
徳丸さん:「日本社会は、お母さんに育児を押し付けすぎ。悲鳴をあげているのは、シングルマザーだけじゃない。夫がいても働きながら、1人で子育てを背負いこんでいるお母さんたちもたくさんいます。だから社会で親をサポートしてほしいと思ってやっているので、世のため人のためと言うより自分の為ですから、偉くは無いんです」
山根:「マリコさんや徳丸さんになれないと思う人の気持ちは、私もわかるんですよ。たとえば、近所にお腹をすかせている子どもがいて、その子1人に一度だけごはんを食べさせてあげることは出来るけど、毎日だったらどうか…とか、他にもそういう子がいっぱいいて、全員に同じように出来るのかとか、不公平になっちゃったり、かえって可哀そうかなとか考えてしまいます」
徳丸さん:「CPAOで、シングルマザー100人調査 http://cpao0524.org/wp/archives/97 を行って、現在、結果をまとめているのですが、子どものころから親から全く愛されず、とても孤独で苦労してきて、いまも、ちゃんと立派に生きているお母さんたちに理由を聞いたら、子どものときに、たった一度だけ、近所の人に、ごはんを食べさせてもらったことがあるとか、一度だけおばあちゃんに寒い夜に足を股に挟んで温めてもらったなど、その時のうれしかった気持ちを何度も思いだして頑張ってきたと答える人がたくさんいたんです。」

きっと、あなたも誰かの“隣る人”

子どもには、信頼できる大人と、安心して過ごせる場所が必要です。本来、親が果たす役割ですが、もし親に出来なくても、周囲の大人と信頼関係が結べれば生きていけます。大人への信頼は、社会への信頼となり、社会から信頼される大人に育てるのです。血のつながりがなくても、傍にいて、日常の中でのささやかな触れ合いのなかで、誰にでも出来ることはあるということなのだと思います。
貧困とは、金銭的な貧しさだけじゃなく、信頼できる人がいない、人と信頼を結べない関係性の貧しさが含まれます。経済的な貧しさだけを解決しても、貧困から抜けだすのはとても難しいが、他者を信頼し、社会を信じられるひとは、苦境にも耐えられる「生きる力」を持っていると言えます。
子どもたちの「生きる力」を支える「信頼される大人」となることは、隣る人になるということです。

では、どうしたら、“隣る人”になれるんでしょうか。
刀川さん:
「映画のチラシでは『隣る人になれますか?』というキャッチコピーになっていますが、僕たちは『隣る人ですか?』でいいのではと思っています。『なれますか?』じゃ怖いじゃないですか(笑)『隣る人ですか?』と聞かれたら、今、存在している中で、自分も、誰かの隣る人なのかなあ?と思うことが出来るんじゃないかと。『隣る人』かどうかは、本人ではなく、相手が決めることですから」
自分が良かれと思ってやっていることも、結果的には逆効果だったということもあります。それでも、いま、目の前で困っている人を放ってはおけないというのは、自分自身の問題であり、自分がしていることは自己満足なのではないかという自問自答を続けていくことも重要ということでしょう。
徳丸さん:「困った時、岐路にたった時に、誰の顔が思い浮かぶのか。自分がなりたいと思ってなれるものじゃないです」

「マリコさん」や「徳丸さん」というような、「特別な誰か」のようになることではなく、「普通の私たち」がたくさん(多様)=「マリコさん」=隣る人?

「マリコさんや徳丸さんになれない」と思ってしまう背景には、子育てを親に背負い込ませてきた社会の有り様があります。
子どもって、いつも可愛いだけじゃないし、親だって、色々な時があるのに
「親に代わって、子どものすべてを丸ごと1人で受け止め続ける」責任を自分が1人で負えるのか?と考えてしまうから、「マリコさんになれない」と思ってしまうのではないかと考えます。
でも、そんなに気負わなくても、私も、もしかしたら、誰かの“隣る人”なのかもしれない・・・。
それは、自分自身のことを振り返り、自分にとって“隣る人”だと思う人が、おそらく、本人はそう思ってないだろうと想像できるからです。
子どもたちにとって“隣る人”でありたいとおもう人が多ければ、それだけ“隣る人”に出逢える子どもも、きっと増えます。
CPAOの“隣る人”でありたい大人と子どもたちを結びつける活動が今後も発展し、CPAOの活動を記録した映画が完成する日を楽しみに、細々とながら、応援していきたいと思います。


今回のメディ・カフェで、初めて利用させていただいたカフェ・コモンズは、NPO法人日本スローワーク協会が、2005年10月1日に、大阪府高槻市摂津富田に開店したコミュニティ・カフェです。http://cafe-commons.com/03aboutus/index.html
日中に上映会をやりたいという無茶なお願いにも関わらず、色々と相談に乗って頂いたり、素晴らしく美味しい料理もたくさん用意していただき、参加者の皆さんからも大好評でした。
特に印象的だったのは、お母さんと参加して下さった小学生のお子さんたちには、ちょっと退屈だったと思うのですが、気が付いたら、厨房の中でお店の人と一緒にパンをこねて、石窯で焼いてもらっていたことでした。焼き上がったアツアツのパンをお母さんに「見て!見て!」という子どもたちの笑顔と弾む声。おかげさまで、最後まで、とても温かい会となりました。
そのカフェ・コモンズで、「とんだCPAO食堂」もはじまりました。http://cpao0524.org/wp/archives/1227
また、メディ・カフェの会場としても、ぜひ使わせて頂きたいと思います。どうぞ、よろしくおねがいします。